釜石爆釣記 そのA


持ち帰った12匹の鯖を見て、目をひん剥いたのはウチの父である。
ワタシとて、体長40センチあまりの鯖なんぞ見たことがない。
「こりゃ今度は連れてってもらわにゃならんな〜」と父が呟いた。
そういえば以前、初めてカレイを釣り上げた時も、「連れてけや」と言われてそのままになっていたのを思い出した。
こりゃ行かねばならんだろう。しかも出来るだけ早いうちに。秋鯖の群れが、居なくなってしまうその前に。

思えば親父と釣りに行くなんぞ小学生以来のことであり、実に25年ぶりと来たもんだ。 あーこりゃこりゃ。

釣行日は釜石から帰った4日後。好天にも恵まれ、厚着をした体には少し暑いくらいの陽気であった。
朝9時に釜石港に着くと、既に堤防には人垣の群れ。かろうじて釣り座を構え、海面を覗き込むと、
以前よりも増して物凄いカタクチイワシの群れ。
入れ喰いのイワシをせっせと釣り上げ、連係プレーで鯖のタナを探っていく。
なんとか親父にも釣らせるべく、多少の焦りもあって、のっけから2匹も目前でバラしてしまう。
やはり40センチ級の鯖にはハリス1号、チヌ針2号では細かったかな〜と仕掛けをいそいそと作り直す。
親父も1匹目をバラし、2匹目で漸く引っこ抜いた。
もともと釣り好きの祖父の血を受け継ぎ、一時は休日の殆どを川で過していたヒトである。
"血が騒ぐ"とはこーゆー状態ではなかろうか。
仕掛けの投入法やウキ下の調整法を伝えると、後は黙々と釣り出し、ワタシより先に3匹も釣り上げた。

釣りは釣れないより釣れた方がイイ。川ではボウズで帰ることのほうが多いが、海では何かしら釣れるものだ。
その喜びは内陸で育った人間にとっては、長い移動距離を忘れさせるほどに面白く、応えられない物ではなかろうか。
こんな秋風の吹く冷たい季節に、面白いように魚が釣れるのは、海ならではではないか。

決して大きくないクーラーボックスにちょこんと座り、ウキを見詰める親父の姿は、
26年前に初めて釣りに連れて行ってもらった祖父の姿にも重なり、その釣りキチの血筋を思わずにはいられない。
祖父は十代の後半から二十代の大半、大正の時代の殆どを海軍で過ごし、
毎日のように横須賀の海を眺めて暮らしたはずだが、その時釣りはやらなかったのだろうか?
その時の道具立てはどんなのだったのだろうか?最早知る人がこの世に居ないのは残念である。
父の幼い頃に記憶に寄れば、祖父は退役した後の昭和の初めを仙台で過ごした由だが、
女川、志津川など、近隣の川に足繁く通い、鮎の友釣りなどをやっていたようである。
昭和初期の当時はもちろん竿は竹竿であって、テグスは蚕の内臓から取っていたようだが詳細は不明である。
もし爺さんが生きていたら詳しく聞いてみたいところだが、もっとも今生きていたとしても今年で106歳であって、
記憶が曖昧かもしれんので、ワタシがあの世に行ってから聞いてみることにする。

午後3時まで粘って親父と釣り上げた鯖10匹。
そろそろくたびれたので家路を急いだ。
釣りは結構体力を消耗するものである。まるで温泉に入った後のような、心地良い疲れではあるが。

帰りの車中で親父が一言。
「次は自分の竿を持ってこにゃならんナぁ」

次は広田湾でアイナメ釣りの予定である。




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